2014 萩往還250km回顧録:大会ボランティア編
蜘蛛の巣だらけの廊下に毛布2枚で寝たのが1時過ぎ、5時くらいに朝起きる
と体があちこち痛い!これはきっと廊下で寝たせいだろう(笑)日頃朝6時に朝飯を食べるので、お腹はペコペコです(苦笑)中学校跡横に、食事が食べれる海湧食堂があるのでチケットを持って食べに行く。中にはたくさんの250kmランナーがいました。食事はお粥と豚汁!一晩走り続けたランナーには胃腸に優しい食事にですが、リタイヤした方にとってはちょっと??みたいな(爆)でも美味しくいただけました!
朝飯を済ませ、自身初の収容バスにて次の目的地宗頭へ。
昨日油谷中跡にバスの中に入るとかなりのリタイアされた方がのっておりました。わたしも含めてですが、それなりに走って風呂も入ってないので車内はかなりの悪臭(笑)一昨年リタイアしたときの山口福祉センターを思い出しました。ゾーンに入ってるときはあまり気にならないのですが、一旦キレるとぶっ倒れそうな気分です(爆)
10時前に宗頭文化センターへ到着。まず最初に滅茶苦茶からだが気持ち悪かったので、シャワー(水のみ:笑)をかりスッキリ!!
まだランナーも来ないのでお昼前まで仮眠。やはり連日板張りに毛布2枚で寝るのは応えます(苦笑)250km完踏はそれ以上でしょうが……(笑)
お昼前に目を覚まし昼食のおにぎりを食べてボチボチお手伝い。目の前がなんと酒屋です!フジの花も奇麗ですね。
今回のボランティアは、国道191号線から宗頭文化センターへランナーを誘導する係でした。最初はゼッケン番号を伝達して、体育館にある荷物を選手に渡すのを交代でやってました。250kmのトップランナーはお昼前に宗頭入りしてきます。(早っ!!)写真は3?4??位の選手です。
夕方になっても宗頭入りはまだ疎らです。忙しくなる前に、酒屋でビールを一杯。
陽もだんだん落ちて来てこのような誘導灯を持たされ、ランナーが見えたらこれを大きく降って下さいと言われました。
こちらは夜の上田酒店。お昼と違って賑やかになってきました!!
なんとフジの木の下で居酒屋状態!!!この時期お昼は暖かいですが、夜はかなり冷え込みます。誘導灯を持つ手もかなりかじかんできます。こんな時に日本酒はいいですね!大阪のランナーが一升瓶をもって注いでくれました(笑)
みなさん初対面ですが、最後はこのように和気藹々と(笑)でも決してボランティアをサボってる訳ではないですから(苦笑)
陽は完全に落ちました。ここはかなりの直線道路ですので、選手からはあの誘導灯が見えてくるとかなりホッとするらいしです。逆にわたくしどもは、集団で蛍の光のようにこっちに向かってくる姿を見ますと目が潤んできます。つくづくボランティアをして良かった!と思う瞬間です。
文化センターで、食事やお風呂、休憩を済ませたランナーを送り出して激励するのもボランティアの役目です。二晩目の夜で疲れもピークでしょうし、まだまだ残り約75kmあります。それでも笑顔で走って行く姿を見ますとこれまたジィ〜〜んときます。
12時過ぎて、待ちに待った雪国ランナー『しばさん』が戻ってこられた。急いで体育館に荷物を取りに行き身支度を。スタート前に何かあったときに使ってと”エマージェンシーシート”を一枚あげてたのですが、これが役にたったとのこと!よかったよかった(笑)ごはんは、みそ汁におにぎりをぶち込み即席雑炊!!
ボランティアをしてるときに知り合った”UMML” はっぴさんも待ってる人がいたらしく、それがなんと同じ”しばさん”だった!(笑)スタート前にスリーショット。”エマージェンシーシート”を体に巻付けて1時前にリスタート!!見送り後に就寝。とても長い一日でした。次回は応援編です!!
仙崎(往路)を過ぎてからの鯨墓往復、そして宗頭は本当に遠いです。特に僕のような
遅いランナーには遠く感じました。赤い誘導灯が見えた時の安堵感は忘れられません。
なんとその誘導灯を振っておられたのが、のっちさんと、はっぴさんだった時は、涙が溢れそうになりました。
「でもまだ泣くのは速い!ここから頑張らねば!」と涙をのみ込みました。
このブログで改めて、萩往還には走るランナーと支えるランナーボランティアの両方からの
目線が良くわかり、このレースの奥の深さを実感します。
こんにちはしばさん!残酷マラソン色々とお世話になりました。完全な体になるにはもう少しかかりそうですが….(苦笑)正直この回顧録ですが、日にちが経ちすぎてます!!(笑)なので、しばさんのMIXI日記なども参考にしてアップいたしました。早く応援編を終わらせて、残酷マラソンの敗走記アップしたいのですが(爆)